底なしの畏怖

タンクからの流出は、おそらく止まらない。国民の目をそらし、忘れた頃にこっそり片をつけるもうやり口はお見通しだ。原発行政を熟知するキャリア官僚が、この国に巣食うモンスターを暴く。

私はこの目で見てきた

福島第一原発の汚染水問題が深刻化していますが、われわれ官僚、あるいは政府、東電に解決策があるのか、と問われれば「そんなものはない」と答えるほかありません。

結論から言えば、いずれ汚染水は薄めて海に流すしかなくなるでしょう。これは福島第一原発事故の発生当時から、原子力関係者の間で共有されてきたいわば「前提」であり、いまはそのための時間稼ぎをしているにすぎません。

もちろん、そんなことは誰一人口には出さない。しかし残念ながら、それが東京電力経済産業省、そして日本政府の考えていることなのです。

 2020東京オリンピックが決まったおかげで、いずれは福島の汚染水問題に対する危機感も薄まるだろう霞が関と永田町には、いまそんな空気が充満しています。原子力ムラは息を吹き返し、曖昧な安全基準のまま原発再稼働に向けて着々と手を打っている。それが現状です。

こう話すのは、電力利権の闇と再び発生する原発事故を描いて反響を呼んでいる『原発ホワイトアウト(講談社刊)の著者、若杉冽氏だ。同書は、小説のかたちで日本が抱える原発問題の核心を抉った、迫真の「告発ノベル」である。

著者名はペンネームであり、「霞が関の省庁に勤務する現役キャリア官僚」という以外は、素性をいっさい明かしていない。

私自身は、官僚としてこれまで原発に関する数多くの矛盾、腐敗を見聞きしてきました。しかし、大多数の国民には何も知らされていない。この情報の格差、不公平を埋めたいというのが、執筆の最大の動機です。

国家の行く末にかかわる重大な情報を、官僚だけが独占するのはおかしい。なぜなら、国民はわれわれ官僚にとっていわば「株主」であり、説明責任を果たす必要があるからです。

ただ、一方で公務員には守秘義務があり、私が知り得た情報をノンフィクションの形で伝えることはできません。また、原発問題と闘うには少しでも多くの時間が必要で、いまクビになるわけにはいかない。そのためにも覆面で小説を書くのが最もよいと考えました。

原発事故はまた起きる

物語は、「関東電力」から「日本電力連盟」に出向し、政・官・財の各界に電力会社の影響力を振るおうと暗躍する小島巌、資源エネルギー庁原発再稼働を画策するキャリア官僚・日村直史、元アナウンサーで反原発活動に身を投じる玉川京子の3人を中心に進みます。誰がモデルかすぐに分かるような人物も出てきますが、官僚については複数の人物像を組み合わせています。ただし、台詞や作品中のディテールは、基本的に私自身が見聞きした事実に基づいています。

物語をつらぬく軸は、電力会社の主導する「モンスター・システム」です。これは、電力会社が取引先への業務発注額を相場より2割ほど高く設定し、余った利益を電力会社自身が主導する業界団体に預託するというしくみです。

作中に登場する「関東電力」の場合、預託金は年間800億円にのぼる。この潤沢な資金を原資に、電力会社は政治献金やマスコミ対策を行うわけです。この集金・献金システムは全国10社の電力会社で構築され、日本を裏側からコントロールしている。

このようなシステムが政治やマスコミを支配しているのは異常事態であり、正しい情報が国民に知らされるはずもありません。

一例を挙げましょう。多くの国民は、福島で事故が起きたとはいえ、それでも日本の原発は海外の原発に比べればはるかに安全だと思っているはずです。

ところが日本の原発は、老朽化が問題になっているうえ、最新型でもヨーロッパ製のものより安全性が劣っています。ヨーロッパの加圧水型炉は、二重の原子炉格納容器の底に、溶けた核燃料を受け止める「コアキャッチャー」が組み込まれ、万が一メルトダウンを起こした際には核燃料がコアキャッチャーを通して冷却プールへと導かれるようになっている。

日本の原発には、このような仕組みはありません。IAEA(国際原子力機関)が策定している国際的な安全基準自体が、日本から出向している職員によって骨抜きにされています。近年ではヨーロッパ型の炉を採用している中国の原発のほうが、日本の原発よりも安全性が高いでしょう。こう言うとみなさん驚きますが、紛れもない事実です。

日本の原発がコアキャッチャーなどの安全装置を付けないのは、特許絡みで海外のメーカーに高額なライセンス料を払わねばならないためです。このことには原子力ムラの人間はもちろん、国産原発メーカーの日立、東芝、三菱重工も絶対に触れませんし、メディアも報じません。こういうことを誰も言わないのはおかしいと思いませんか。

原発の立地自治体が定めた避難計画がお粗末であることも大きな問題です。

そもそも1999年にJCOの臨界事故が起きるまでは、原子力事故はあり得ないということが前提で、避難訓練を行うとかえって住民の不安を煽るとされてきました。当然、避難計画や防災計画など作られるはずがありません。

避難計画がないままに北陸などの原発で重大事故が起こり、住民が自家用車で避難すれば、大渋滞でパニックになります。車での避難を禁じ、避難バスを運行させる必要がある。ただ、大変なのはバスの運転手です。原発事故という緊急時に、自分や家族の安全よりも地域住民の安全を優先しろというのは酷でしょう。

となれば、頼れるのは自衛隊だけです。しかし自治体が自衛隊と緊急時に備えて話し合いをしているかというと、全くしていない。

福島第一原発事故以前と同じく、安全対策はないがしろにされたままなのです。

放射能は漏れ続ける

作中では、電力業界が政治家をカネで籠絡する場面も生々しく描かれている。

日本電力連盟常務理事の小島は、わざわざ飛行機で長崎へ飛び、総選挙で大敗したリベラル政党・民自党の落選議員を、さもついでに立ち寄ったという風情で訪ねる。

粗末な事務所を構え、明日の生活費にも事欠く議員に、地元女子大の客員教授のポストを紹介する小島。議員は、小島に土下座せんばかりにして感謝するのだった。

野党議員にも目配りを欠かさず、起こりうる政界再編に向けて保険をかけておく。大学の客員教授や非上場企業の顧問などのポストには、電力会社がカネで押さえているものが少なくない。

これも、若杉氏が官僚として見聞きした「事実」に基づく描写である。

モンスター・システムは、どうすればなくせるか。要は政治献金をなくせばいいわけですが、かつて民主党政治献金廃止を謳っていながら、政権を取ったとたんに自らが力に溺れ、うやむやになってしまいました。

政治献金がすべて悪いとは言わないけれども、少なくとも電力会社のような独占企業については、政治献金やパーティー券購入を根絶する仕組みづくりが必要だと思います。

同時に、税金の使い道が一応は透明化されているのと同じように、国民から集めた電気料金についても使い道を明確に開示すべきです。電気がないと生活できない国民にとって、電気料金は税金のようなもの。これを法制化しない限り、モンスター・システムの息の根を止めることはできない。

さらに、電力会社の仕事の発注は競争入札にすべきです。東京電力の下請け企業は毎年、発注の順番や受注比率が同じですが、ここにも切り込まなければなりません。

折しも、福島第一原発の汚染水問題は国が引き受けることになりました。汚染水対策に国費を投入する条件として、東電の政治献金の禁止、電力料金の用途透明化、公開競争入札3つをパッケージにして東電に突き付けるべきです。

思い出してもみてください。東電はあれほどの大事故を起こしておきながら、結局生き残り、事故処理に国費を使い、あげく自民党に手を回して「廃炉は国が負担してくれ」などと言い始めています。これはつまり「廃炉庁」を新設しろということであり、「あとは国に押し付けて逃げ切ろう」という虫のいい話です。

原発やその関連施設では、これまで信じがたいほど杜撰な工事が行われてきた。作中には、ある原発で工事の目的さえ知らされていない現場作業員たちが、非常時のベント用配管を組み立てながらこんなやりとりをする。

〈「おい、これズレてるけど、どうやって繋ぐんだ?」「一応、関東電力にお伺い立てとくか?

「でも、あいつらに聞いたら、本社に確認するとか言って、平気で一週間くらい放置されるぞ」

「こんなのをいちいちお伺い立ててたら、俺たち死んじまうぜ」〉

結局彼らは、大きくずれた配管をありあわせの材料で適当に繋いでしまう。非常時には、そこに放射性物質を含む排気が通ることも知らずに。

電力会社は、なるべく多くの下請け企業を潤すためにひとつの工事を複数の企業に発注することが多いのですが、そのせいで配管の継ぎ目が合わないといったことが日常茶飯事です。業者の間で設計寸法の書き方が食い違い、配管をつなぎ合わせた際に誤差が生じるわけです。

青森県六ヶ所村の使用済み核燃料プールでは、これが原因で水漏れが起きていたのに、何年もの間水漏れ箇所を特定できなかった。似たような例は今後も見つかるでしょう。

みなさんは、メルトダウンを引き起こす原因というと地震や津波を思い浮かべるでしょうが、実はそれだけではありません。

原発に通じている1~2系統しかない専用送電線が、万が一切れたらどうなるか。原発の炉心はスクラム(緊急停止)し、そこから先は現場の非常用電源で炉心を冷却し続けなければならなくなります。

しかし、寒い地域の原発たとえば新潟県の柏崎刈羽原発は豪雪地域にありますであれば、厳冬期には非常用ディーゼル発電機が凍りついて動かなくなる危険もあります。雪に埋もれ陸の孤島となった原発は、作業員が近寄ることさえできないまま、静かに暴走を始めるでしょう。メルトダウンが起きるのです。

真実から目を背けるな

福島原発事故の直後、原子力安全・保安院は送電線の脆弱さに気づき、一度点検を行いました。しかし、このとき保安院は重大なことを見落としている。テロの可能性です。

送電線の鉄塔には鉄条網などで囲いが施され、「立ち入り禁止」「高圧電線危険」などの注意表示が設置されていますが、警備員が監視しているわけではないので容易に侵入することができます。

福島原発の事故以後、国土地理院が提供する最新の電子国土基本図からは、送電線の表示が削除されました。しかし以前発行されていた25000分の1地図、また旧電子国土基本図ではすべての送電線が正確に記載されている。作中では、この送電線の鉄塔を狙った原発テロ計画を詳細に描いています。

日本という国には、こうした最悪の事態について想定することを禁じるような空気があります。それは不吉なことを口にすると現実になるという、一種の言霊信仰に根差した考え方なのかもしれません。

本来ならば、われわれ国や官僚が最悪の事態をシミュレーションし、対策を整えなければなりませんが、官僚の間にさえ同じ空気が蔓延している。これは、電力会社のモンスター・システムが陰に陽にもたらしている力でもあるでしょう。

そして「汚染水はいずれ海に流せば問題ない」「その時が来るまで国民には何も知らせなくてよい」という不遜な考え方も、その延長上にあるのだと思います。

ただ、官僚全てが真っ黒だというわけではありません。われわれも人間ですから、常に白と黒の狭間で揺れている。電力という権力がいかにこの国に染みわたり、手に負えないほど複雑なしがらみとなっているか。国民にその真実を伝えるとともに、内心「これでいいのか」と感じている官僚にも、勇気を持ってもらいたい。そのために、私はこれからも執筆を続けてゆくつもりです。

週刊現代20131012日号より