じこはおこるさ
「じこはおこるさ」
・・・じこがほら おきるよ いきなりくる
ちょうしにのって やってると
バチがあたる
じこがほら おきるよ
いいきになってると
そうさ、よそみしてるそのときに
じこはおきるものさ
おもいつきでやると
きっと、しっぱいするよ
こううんのめがみは きまぐれだから
ウキウキしてると まっさかさま
わすれないで きおつけてね いつだって
・・・。”ひょうしきはいつでもあるのにさ、
だいじなモノばかりみおとすね”
そんなとき かならずやってくる
にどとやらなければ いいけど
(「きかんしゃトーマス」マイク・オドネル、ジュニア・キャンベル/訳・山田ひろし)
http://www.youtube.com/watch?v=dcyqzlemUag
<「科学者が人間であること」中村桂子著(岩波新書:2013.8発行より>
この本で、中村は哲学者大森荘蔵の「活きた自然との一体感」との思考を採り、[「客観的事物にはただ幾何学的・運動学的性質のみがあり、色・匂い・音・手触り、といった感覚的性質は人間の主観的印象に属する」とするガリレイとデカルトは過ちを犯している。それによって自然を”死物化”(密画化)している。]と言う視点を重視。
日常生活の風景と、科学者が原子・分子などで描く世界を同じものと見れば良いではないかとの「重ね描き」の提案を評価。そして宮沢賢治や南方熊楠を「重ね描き」の先達として見出している。
「人間を機械として見てその故障を直す技術を開発しお金を儲ける」ものから「生きものとしての人間を知り、そこから新しい生き方を探る」”生命科学”であるべき、と問いかける。